パレスチナ問題を分かりやすく解説!(その1)

パレスチナ問題を分かりやすく解説!(その1)

8月13日にイスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)が国交正常化に合意したという爆弾ニュースが流れてきました。

この正常化の後ろにはトランプ米大統領が仲介役をしたと伝えられています。

大統領選を2か月半後に控え、トランプ大統領にはかなりの得点になったのかと思います。

 

イスラエルと言えばアラブ人がメインに居住する中東諸国の中では異質となるユダヤ人の国家ですが、1948年の建国以来4回にわたるアラブ(主にエジプト)との中東戦争以来四面楚歌の状態が長く続いてきました。

しかし、イスラエルは1979年には当時の米カーター元大統領の仲介でエジプトと、1994年にはクリントン元大統領の仲介でヨルダンと平和条約を結んできましたが、アラブ連盟18か国(21か国※内3か国はアラブ国と認められていないため)で3か国めとなるUAE(アラブ首長国連邦)と平和条約締結に至ったことになります。

イスラエルがアラブ湾岸地域のアラブ国と外交関係を持つのは初めてとなります。

 

中東の地図を見ていただくとお分かりになりますが、UAEといえば、アブダビ首長国(市)やドバイ首長国(市)を抱えた近代的な産油国ですが、イスラエルの敵国であるイラン(アラブではなくペルシャ人)ペルシャ湾を挟んで対岸にあり、政治的にはイラン寄りのカタールと隣国関係にあるので、近い将来湾岸の治安の火種にならないとも限りません。

 

日本ではあまりなじみがありませんが、中東から北アフリカ全域にかけてアラブ21か国が1945年に設立したアラブ連盟(本部はエジプトのカイロ)という組織があります。

そのアラブ連盟はパレスチナのアラブ人の土地に1948年にイスラエルが建国され、パレスチナ人が土地を追い出され難民となったことなどをきっかけにたびたび戦火を交えました。

パレスチナ問題を抱えてユダヤ人イスラエルを敵国とみなし「承認せず、交渉せず、和平せず」との立場をとってきていました。

これまでイスラエルを承認したアラブの国は前出のように2つだけでした。エジプトがイスラエルとの第4次中東戦争(1973年)後に1979年にイスラエルの単独和平を結び、アラブ連盟から一時脱退していましたが、10年後に復帰しました。

その後クリントン元大統領の仲介でイスラエルとヨルダンが平和条約を締結しました。

今回はUAEがアラブの中で3か国目の国交正常化を決定したわけで世界中を驚かせるビッグニュースとなりました。

イスラエルは合意を踏まえ、検討していたヨルダン川西岸の一部のユダヤ人入植地の併合を一時停止するとしています。

 

このニュースに対しパレスチナ国(日本は米国同様国家承認していませんが)の猛反発があり、アッバス議長は「UAEの対応を強く拒否する。第三者がパレスチナ人を代表して口を出す権利はない」「正常化はパレスチナへの「裏切りだ」」と猛反発しています。

一方、アラブの盟主たるエジプトは賛成派に回っています。

エジプトのシーシ大統領は「中東に平和をもたらす」というコメントとともに「パレスチナ領土の課題においても解決を促すきっかけとなる宣言で、米国、UAE、イスラエルの間の3者の共同声明に大きな関心と感謝を示したい」と述べています。

また、イスラエルと国交のある(非アラブの)トルコのエルドアン大統領も14日、UAEを非難し「外交関係の停止や駐UAE大使の召還もあり得る」と述べています。

トルコはイスラム世界での発言力を高めるため、パレスチナ支持を強く訴えていた。湾岸の盟主であるサウジアラビアはなぜか沈黙を守っています。

 

イスラエルとアラブ諸国が長年対峙してきたのには歴史的に根深いパレスチナ問題があるからです。

距離的にも近くないので、日本ではあまり話題にされませんが、世界の地政学問題の中では最も厄介な問題です。

この問題は第一次世界大戦時のイギリスの3枚舌外交によって引き起こされました。

パレスチナは、第一次大戦時にはオスマントルコに占領されていましたが、イギリスはオスマントルコを倒すためにパレスチナの地でパレスチナのアラブ人と、オスマントルコの撤退後パレスチナを共同統治しようとしていたフランス、ロシアと、またパレスチナに建国をしようとしていたユダヤ人にそれぞれ違った外交的約束をしました。

 

まず第一次大戦の真っただ中、1915年にオスマン帝国からのアラブ独立運動の指導者であったメッカのアミール(太守)であったフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間でやりとりされた書簡の中で、イギリスは対トルコ戦協力(アラブ反乱)を条件にアラブ人居住地の独立支持を約束しました。

オスマントルコを倒すためにイギリスに協力して戦ってくれれば成功後にパレスチナアラブの独立をさせるという約束をした形です。

そして、見事オスマントルコを退けることに成功したのです。

 

次にイギリスが画策したのが、サイクス・ピコ協定と言われる秘密協定です。

ウィキペディアによれば、1915年11月頃から 連合国側は大戦後のオスマン帝国における勢力分割について秘密裏に交渉をはじめ、イギリスのマーク・サイクスとフランスのジョルジュ=ピコによって案の作成が進められました。

その後、ロシア帝国外相サゾノフも加わってペトログラードで1916年に秘密協定が結ばれました。

それによると、

  1. シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区をフランスの勢力範囲とする。
  2. シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲とする。
  3. 黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡両岸地域をロシア帝国の勢力範囲とする、という分割統治案でした。

パレスチナ地域はイギリスが統治する形になっていたようです。

 

そして、3つめがバルフォア宣言です。

第一次世界大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で、戦費に必要な資金繰りを助けてくれたらパレスチナの地にユダヤ人の国を作ることを確約したのです。

 

このようなイギリスの三枚舌外交の結果、特にアラブ人が住んでいたパレスチナという土地にアラブ国家とユダヤ国家建設を約束したわけですから問題が起こらないはずがありません。

イギリスは、第一次大戦以降はしばらくパレスチナを委任統治していたのですが、第二次世界大戦直後にこの三枚下外交が現在のパレスチナ問題を引き起こす結果になってしまいます。続きは別の機会に書きたいと思います。

著者プロフィール

memo
ウィンインベストジャパン( https://win-invest.co.jp/ )
齊藤トモラニ 老舗FXスクール代表。
FX会社主催のセミナー講師としても活躍する。
著書に『簡単サインで「安全地帯」を狙うFXデイトレード』
ロンドンfxの松崎美子さんと一緒にYouTube「fxの流儀」を配信中
<FXの流儀youtubeチャンネル>
https://www.youtube.com/channel/UC30w5H2MGSs6wP1YFjPeXBg

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